こんにちはritaです。
女子マラソン界の
名指導者小出義雄監督が
バース・デイで放映されますが、
マラソンを心から愛し、
他界される2ヵ月前まで
現場に立ち続けた小出監督。
最後はどのように
迎えられたのでしょうか。
人間は日々、死に向かって
生きているという矛盾を
抱えた生き物ですが、
最愛のマラソンに
生き続けた小出監督の
最後にスポットを当てて
記事を書かせて頂きます。
もくじ
概況
24に他界された
小出監督の葬儀・告別式が29日、
千葉県佐倉市の斎場で営まれ、
陸上関係者ら約600人が参列して
旅立ちを見送られたそうです。
監督を納めたひつぎは
高橋尚子ことQちゃん、
1992年バルセロナ五輪で銀、
96年アトランタ五輪で銅メダルを
獲得した有森裕子さんらの手で
運び出されたようです。
最後は笑顔で
見送られているのが
いかにも監督さんの教えを
実践されているのだなぁと
思いました。
泣きたいけど
涙をこらえて送り出す。
監督にとっては
可愛くてしょうがない
教え子さんたちでしょうね。
*こんな素敵な教え子さん達を育てた方法は
こちらに書かせて頂いています。
病室での様子
体調が悪くなってからも
やはりそこは小出監督。
相手を気遣って、
最大限の心配りをされて
病室でも元気に振る舞われて
いたそうです。
小出監督の教え子で
女子マラソンのバルセロナ五輪銀、
アトランタ五輪銅の2大会連続メダルを
獲得した有森裕子さんによると、
倒れた後に見舞いに行っても、
相手に気を使わせないように
元気に振る舞われていたそうです。
ただ、その分後で、ガクンと来るらしいと
語られています。
また、病院での様子も、
とにかくよく喋られていたと。
有森さんが覚えていないような試合のこととか
頑張ったこととか、昔のタイムや出来事などを。
有森さん自身が本当によく覚えてくれているなぁ
と感心する程だったらしいですね。
やはり、小出監督って
気遣いの人なんですね。
相手を見て、
相手に合わせて指導する。
相手に合わせて会話する。
監督からしたら同じなんで
しょうね。
また、相手が頑張ったことを
素直に話す。
大人になっても嬉しいですよね。
自分がされたら…
本当に素敵な指導者だったんだなぁ
と書かせて頂いて思いました。
経歴
こちらは小出監督の経歴です。
ご参考までに載せておきますね。
若い頃に農業を継ぐも陸上への情熱が
押さえられず家出をされたエピソードも
書かせて頂いています。^^
小出義雄(Qちゃんの監督)のモチベーションはどこから?【バースデイ】
・1939年(昭和14年)千葉県佐倉市生まれ。
・高校卒業後に一旦は実家で働くも、順天堂大学へ進学し、
箱根駅伝には3回出場。
・卒業後、千葉の公立高校などで教員生活を送る。
・市立船橋高校の駅伝部では、全国高校駅伝優勝。
・1988年より実業団チームの指導者へ。
・1992年バルセロナ五輪銀、1996年アトランタ五輪銅の有森裕子、
2000年シドニー五輪金の高橋尚子をはじめ、世界選手権金の鈴木博美、
世界選手権銅の千葉真子らを育てた。
・2001年、佐倉アスリート倶楽部設立。享年80歳。参照元:Number
まとめ
はい、今日は、
小出義雄監督の最後の様子について
書かせて頂きました。
どんなにしんどくて相手を思い、
気丈に振る舞われていたんですね。
こういった、
気遣いの人だからこそ、
この人についていこうと
多くの人間がおもわれたんだろうなぁ。
人として格好いいですよね。
合掌