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こんにちはritaです。
今年も大船渡高校の佐々木朗希投手など、
高校野球では投球数が問題になっていますね。
しかし、
かつて県予選からたった1人で1000球以上を
投げ抜いた天才ピッチャーが甲子園にいました!
その選手とはあの金村義明選手です。
金村義明選手は
この甲子園を人生最後のマウンドとしています…
投手生命を危険に晒してまで投げ続けた裏には、
天才ならではの“ある宿命”が関係していました。
気になるそのあたりを調査します。
もくじ
金村義明・甲子園史に残る不屈の天才!
今年の甲子園予選では
大船渡高校の佐々木朗希投手が、
連投で肩を故障する可能性があるので
大事な一戦で投げずに敗退という一幕がありました。
投球数問題は過去も現在も
必ず話題にあがるテーマですが、
そんなものを屁ともせずに県予選からたった1人で
1000球以上を投げ抜いた天才ピッチャーがいました。
それが当時報徳学園のエースで4番の
金本義明選手でした。
今考えても恐ろしい体力と気力ですね。
やっぱりプロに行く人ってそもそも体力が凄いの
ですね。(-_-;)
金村義明・県予選から1000球以上投げ抜いて高校野球のルールを変えた!
金本義明選手は
兵庫県大会の7試合と甲子園での6試合
を全て一人で投げ抜いています。
合計13試合。投げた球数は1000球以上です。
今では考えられないですよね。
実際に投げた金本義明選手も
決勝前日には体力の限界で食べ物が喉を通らなかった
そうです。
そこで
母親に助けを求め高麗人参を流し込み緊急回復。
やっとのことで翌日の決勝のマウンドに上がったという
エピソードがあります。
もう想像を絶する体力の消耗具合であったことが
想像出来ますね。
にしてもですよ、なぜそこまでして一人で
投げ抜くことに拘ったのでしょうか?
報徳学園ほどの強豪校であれば2番手、3番手の
ピッチャーもいたでしょうし。
それに対して、金本義明選手はこのように
答えています。
「僕は最後の甲子園にかけていました。監督は2番手、3番手を投げさせようとしましたが、それで負けたら悔いが残る。 “絶対にイヤや “とマウンドを譲らなかった。負けたら終わりですからね。優勝から20何年か経って、控えピッチャーに”オマエも1回くらい甲子園のマウンドに立ちたかったやろうなァ。でも、もしオマエが投げて負けていたら、生かしておかんかったでェ”と言うと、”いやぁ、ホンマに投げんで良かった”と笑っていましたよ」
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まさにチームの大黒柱として
監督以上にものが言えたのですね。笑
恐るべきジャイアンですね 笑
ルール変更については
具体的な情報は取れませんでしたが、
投球数については現在も甲子園ではルールは
設定されていませんでした。
また休養日という点については、
近年では重々決勝の後は休養日を設ける等の
ルールがありますが、金本義明選手が甲子園に
出てから随分あとの話で直接的な因果関係が
掴めませんでしたが、金本義明選手のようなケースも
甲子園ではありえますのでそのルール変更の要因に
なった可能性は高いですね。
金本義明・投げ続けた理由?天才ならではの”ある宿命”とは?
実は金村義明選手、こんなことを語っています。
僕は甲子園を最後にピッチャーを辞めようと思っていたから、最後はピッチャーとしての意地ですよ。
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プロに進んだらもうピッチャーはしない。
だから高校野球でピッチャーとしては
完全燃焼しておきたかったんでしょうね。
心意気を感じますね。
ちなみに
甲子園史上最も有名なこのシーン。
あの女子高生もモテモテだた荒木投手から
逆転の口火となる金本義明選手の一打です。
10分43秒からです。
それにしても金村義明選手、お若い!^^
まとめ
ということで今回は、
高校野球のルールを変えた甲子園史に残る
不屈の天才・金本義明選手について調査させて
頂きました。
具体的にはこちらでしたね。
・金村義明・甲子園史に残る不屈の天才!
・金村義明・県予選から1000球以上投げ抜いて高校野球のルールを変えた!
・金本義明・投げ続けた理由?天才ならではの”ある宿命”とは?
金村義明選手の気持ちの強さには
圧巻でしたね。
なんでもそうなのかもしれませんが
やっぱり心・技・体の中でも
最後は気持ちの部分が肝心なんでしょうね。