こんにちはritaです。
難病のベーチェット病を乗り越え
甲子園へ出場された柴田章吾さんが
「衝撃のあの人に会ってみた」に出演されますね。
しかも新たな奇跡を起こしたとの情報が!
そこで
柴田章吾さんの現在の仕事や
難病のベーチェット病を乗り越えた甲子園出場の実話。
その後の奇跡も調査します!
もくじ
柴田章吾は難病(ベーチェット病)乗り越え甲子園出場!
柴田章吾さんは、1989年4月13日に
三重県はいなべ市に生まれました。
小学2年生から野球を始め当確を表します。
小学6年の時には、なんと全国制覇。
その後も順調に実力を伸ばし、
天才投手として海外遠征を控えていた
中学三年生の時事件は起きます。
厚生労働省指定の難病の
「ベーチェット病」を発症したのです…
既にその実力は知れ渡っていたので
野球の競合高校から10校以上からオファーが
ありましたが、それらもおじゃんに…
それでも自力で愛工大名電に進学します。
本人の意思が見える決断ですよね。
こういう決断って一生自分の財産に
なるんですよね。
例え失敗しても自分で決めたことだから
納得も出来る。この方みたいに↓
ちなみに
イチローさんの母校ですよね、
愛工大名電って。↓
で、
進学後は難病との闘いが始まります。
入院生活もしました。
長期間練習が出来ない時期も経験しました。
しかし、努力の天才・柴田章吾さんは、
2年生の初からベンチ入りを掴み取ります!(゜レ゜)
更に3年生の時には夏の甲子園へ出場!
何が柴田章吾さんをそこまでに駆り立てたのでしょうか?
それは、
「甲子園で投げて、全国でこの病気に苦しむ人を
勇気つけたい」といった利他の心でした。
誰かの為にという思いは力になるんですね。
この人みたいに。↓
高校卒業後は明治大学へ進学。
野球を続けます。
柴田章吾のもう一つの奇跡!【衝撃のあの人に会ってみた】
柴田章吾さんは
明治大学を卒業後にプロ野球選手に
なっています。
それも名門・巨人軍です。(゜レ゜)
2011年10月27日にドラフト会議で
読売ジャイアンツから育成枠で3位指名を
勝ち取りました!
年棒は240万、支度金100万と
野球で飯を食べることに成功した
プロ野球選手になったのです。
ドラフト開始から3時間が経過し、
95番目の指名でした。
その後の会見でも思いは一貫しています。
「同じ病気(ベーチェット病)で戦う人たちに
勇気や希望を与えたい」
難病を経験した本人だからこそ
その苦しみも身を持ってしっています。
つらかったこと、
全部プラスに変えて次への一歩に
繋げる。
人はこれを奇跡と呼ぶかもしれませんが
それは柴田章吾さんの努力と意志の決勝であり
必然であったのかもしれません。
人生にまぐれはない。
あるのは必然だけだ。
その為に準備をした人だけが勝利を掴む。
そんな言葉を思い出しました。
この方と似てる…↓
柴田章吾は現在の仕事はアクセンチュアでコンサル!
https://entrenet.jp/
育成選手として
読売巨人軍でプロ野球人生を始めますが、
2014年の10月1日に戦力外通告を受けます…
2015年1月からは
巨人軍の球団職員としてジャイアンツアカデミーの
コーチとして子供達へ野球指導を行います。
こういった仕事って素敵ですよね。
まさに適職と思いましたが、
柴田章吾さんは1年ちょっとで新たな道へ…
それが大手コンサル会社への就職です。(゜レ゜)
2016年4月にアクセンチュア株式会社へ転職し
経営・ITコンサルタントとして新たな一歩を
踏み出されました。
将来の夢は、
メジャーリーグの経営に携わりたいとのこと。
まだまだ更なる活躍がありそうですね!^^
まとめ
ということで今回は、
・柴田章吾は難病(ベーチェット病)乗り越え甲子園出場!
・柴田章吾は現在の仕事はアクセンチュアでコンサル!
・柴田章吾のもう一つの奇跡!【衝撃のあの人に会ってみた】
について調査をさせて頂きました!
頑張る姿って人に感動を与えるですね。
今更ですが思いました。<(_ _)>