こんにちはritaです。
あの伝説のストッパー・の郭源治さん
中日時代の故・星野仙一監督との禁断の関係を
テレビ初告白との番宣が爆報フライデーにあります!
その禁断の関係性とは?
テレビ初告白の内容とは?
一足お先に調査します!
もくじ
郭源治と星野仙一の禁断の関係
星野仙一さんがお亡くなりになられた時、
あの郭源治さんはこのようにコメントされています。
「星野さんは僕にとても大きな影響を与えてくれた方。まさしく野球人生の恩師です」https://full-count.jp/
野球人生の恩師とまで言わせる関係性は
どのように築かれていったのでしょうか。
一つには星野仙一さんの人への情だと思われます。
例えばこんなエピソードがあります。
郭源治さんは弟さんを交通事故で亡くされました。
その時に星野仙一さんはこんな言葉をかけて
郭源治さんの心に火を付けました。
「源治、空を見てみろ。弟が見ているぞ」
僕が郭源治さんの立場だったら
こんな言葉をかけられたら
燃え上がると思います。
「頑張れ」でも、
「今日は無理するな」でも
「お前の気持ちは分かる」でもなく。
「空から弟が見ているぞ」というこの言葉。
同様の経験をされたきたからこそ
出て来る言葉だと思います。
でこの言葉を投げられた郭源治さんは
その後どうなったのか?
大車輪の活躍でリーグ優勝の原動力となり、
セ・リーグのMVPにも選出されています。(゜レ゜)
現代はパワハラという言葉が横行していますが、
当時も多かれ少なかれあったと思います。
まして野球という上下関係の厳しい世界では
殊更でしょう。
ただ、この星野仙一さんの言葉と郭源治の
結果に表されるように、
相手をその気にさせる。
そんな導き方が上に立つ人は上手かったのでは
ないでしょうか。特に星野仙一さんは。
今風で言うとコーチングですね。
一言で言うと相手を思う気持ち。
そしてチームを勝たせるという大義の為。
どちらが先かは分かりませんが、
両方あって初めてバランスがとれるのでしょうね。
また二人の関係性はこんなエピソードにも
現れています。
2013年のアジアシリーズで楽天を率いて
台湾を訪れた星野仙一さん持病の腰痛に耐えながら
移動していたそうです。
その時に、
台湾プロ野球の顧問を務めていた郭源治さんは
星野氏の台湾滞在を全面的にサポートされました。
結果的に楽天は同大会を制することはできませんでしたが、
郭源治さんは裏で星野氏の最後の国際試合を
支えていたと言われています。
星野仙一さんの帰国後、
台湾ではウインターリーグが開催され、
台湾プロ野球選抜の監督となった郭源治さん
背番号「77」を付けて試合に臨みました。
そうです。
星野仙一さんのの背番号を背負って
共に戦っていたのです。
言葉ではなく姿勢で語る、そんな男・郭源治さんの
意志を雄弁に語るエピソードではないでしょうか。
信頼と尊敬。
そんな言葉がしっくりする星野仙一さんと郭源治さんの
関係性を素晴らしいと感じるのは僕だけではないのでは
ないでしょうか。
参照:https://full-count.jp/
伝説のストッパー・郭源治が禁断の関係を初激白!
https://www.jiji.com/jc/
上の写真は救援した郭源治投手(右)に
ゲキを飛ばす故・星野仙一監督です。
投手出身の監督らしく、よくマウンドに行って
カツを入れていました。
気合いが入ったのか、
見違えるような投球に変わった投手は
少なくないと言われています。
サラリーマンでも同じですよね。
必死にやってもやらなくても
給料は変わらない。
だからそれなりにやり過ごそう。
そういう人って一流企業にも
結構いますよね。
だからトップが刺激を与えてケツを
叩く。
それにより結果を出すようにひっぱっていく。
こんなリーダーシップのとり方って昔も
今も変わらないですよね
今はパワハラと言われるリスクも
ありますが。これも時代の無常さですよね。
上述させて頂きましたが、
郭源治さんは星野仙一さんの背番号77を
背負って戦った程、星野仙一さんを慕っていましたね。
ですので、まだまだ明らかにされていないエピソードが
番組内で話される可能性は高いですね。
その点については番組内で確認したいと思います。
情報が入り次第追記させて頂きますね。
まとめ
ということで今回は、
・郭源治と星野仙一の禁断の関係
・伝説のストッパー・郭源治が禁断の関係を初激白!
について調査させて頂きました。
郭源治さんに多大な影響を与えた星野仙一さん。
現場で共に戦った二人にしか分からないことって
沢山あるんでしょうね。
そんなお二人の関係性。
番組内ではどんな言葉が飛び出すのでしょうか。
結果を出した人の口からどんな言葉が飛び出すのか
聞いてみたいですね。